歯科 緑区の凄さ
某月刊誌にサラ金の記事を書いたとき、目次に入れる私の写真を撮りに、編集者、カメラマンと共に東京.神田のサラ金の店舗の多い地域に行ったことがある。
雑踏の中で写真を撮られるのだから、通り過ぎる人は、「何事だろう?誰だろう?」と、こちらをちらちら見る。
もちろん誰1人として知るものはいない。
初めは恥ずかしかったが、恐ろしいもので、たちまち慣れる。
慣れるどころか、見られることが少し快感になる。
唐突にこう思った。
ように生身の前後にプラカードをぶら下げて、「私売ります、できることは……です」といって買い手がつくようでなければ仕方ないのだな)今となってはこの心境にたしかな説明はできないが、多分、(一切のレッテルの部分を殺ぎ落とさなければならない)と思ったということなのだろう。
不安感ではなく爽快感を伴う心境だった。
仕事は何のためにやるのか、などと深く考えれば切りがない。
大雑把にいえば、生活を支える収入を得るためであり、仕事を通じて自己表現をするためである。
ここでいう自己表現の中には、仕事そのものをやる(たとえば、こんな機械を組み立てた、これだけの売上げを上げた、こんな企画を実現した)というだけでなく、その結果に基づいて出世をした給料が上がるということも含まれる。
ところでフリーになって間もない?)と驚いたことがある。
ついこの間までは自分もそうだったのだ、ということを改めて思い出した。
編集者だったときは、自分が売れ行きのことをそんなに気にしているとは気がついていなかった。
編集者に限らず、サラリーマンにとって自分の仕事は、最終的に必ず数字に集約される。
「営業マンA氏は、95年に10億円の売上げを上げた」「編集者B氏は95年に10冊の単行本を手がけ、2000万円の利益を上げた」という具合である。
しかもその数字は年々ふえていくことが当然のこととして期待されていて、営業マンA氏が、「私は去年、休日出勤もいとわず一生懸命仕事をして10億円の売上げを上げたが、今年は余暇生活を大事にしたいから、売上げ目標は8億円に留める」などという年度目標を社に申告することは、まずできない。
会社は毎年、増収増益を目指す貪欲な生き物であって、結果として減収減益となったとしても、最初から目指すことはありえないからである。
当然会社の構成員としてのサラリーマンが、自分のノルマの数字が減ることを最初から予定するわけにはいかない。
サラリーマン自身そんなことを思ってみたこともないだろう。
ところがフリーにはできる。
私は90年から91年にかけて1年半、それまでいくつかの雑誌連載を打ち切ってもらい、一冊のルポルタージュの書下ろしだけに専念していた。
その前年にやっていた仕事の収入で、何とか暮らせる目処が立っていたからだ。
月に1、2回、地方都市に4泊5日程度の取材旅行にでかけ、帰ってきてからその取材の整理をし、次の取材旅行の準備をするということを1年続け、残りの半年で700枚ほどの原稿を書いた。
その1年半の実質収入はほぼ100万円(印税130万円で、取材先に30万円分くらいの献本をしたから)だった。
フリー1年目の年収より、フリー7年目の年収の方が少なかったわけだが、以前からやりたいと思っていたテーマに取り組むことができたし、一定期間1つの仕事にだけ専念するということができて、大いに満足だった。
日頃いくつかの仕事をかけもちしているので、どれにも全力投球をしていないという憾みが残り、どこか気分がよくないものをいつも感じ続けていた。
それだけでなく、1つの仕事にだけ専念していると、ワープロに向かった資料を読んでいるときでなくても、心身はそのテーマに占められている。
いわばそのテーマに取り憑かれた状態になっている。
風呂に入っているときなどにふっといい考えが閃いたり、思いもかけないところで引き寄せられるように貴重なデータに出会したりする。
もちろんかけもちをしているときにもそういうことはあるが、取り憑かれるような精神状態にはなっていないので、その度合いはとても小さい。
当然のことながら、かけもちのときの方が原稿の中身は薄くなる。
書下ろしだけをやっていたこの時期、経済的にはまるでペイしなかったが、とても精神衛生によかった。
当時、長女高一、長男中三、次男小4だったが、おめでたくも、1年半の間、書下ろしに専念できる経済条件を作ったことだけに満足しており、この後間もなく教育費が膨らみ始めることなど、ちっとも気がついていなかった。
どんな仕事にも具体的な中身(どこかにビルを建てる、顧客に情報システムを売り込むなど)と数字(売上げや儲けに還元される数字)とがある。
数字を追い求めることも、もちろん仕事の面白さのうちだが、どうやらサラリーマンの関心が数字にばかり集中しすぎるように、会社というものができているようだ。
その点フリーの物書きは、売れ行き以前に、自分が書きたいと思っていた作品を書き上げた、というところで第1義的な満足は得てしまっている。
第2段階として、自分の信頼する読み手に見てもらって「今度は書いたな」「面白かったよ」とでもいってもらえば、それだけでかなり満ち足りる。
最終段階として、実際に出版されてからも、たくさん売れ、書評で誉められればもちろん嬉しいし、その反対に鳴かず飛ばずだとめげもするが、仕事の成果の半分は第1、第2段階でもう得てしまっているから、編集者たちにとって重要ではない(ただし鳴かず飛ばずが、続くと仕事の注文が来なくなり、結果として自己表現をする場が得られなくなり、経済生活も損なわれるので、売れ行きの要素もある程度以上は満たさなくてはならないという気持ちはある)。
サラリーマンだって自己表現性の高い職種にいる場合、第1、第2段階で満足を得られれば、売上げなど数字的なものがそれほど得られなくても、個人としてはかなり満たされるだろう。
G書房での当初の私にはそういう部分がかなりあった。
会社は第1、第2段階だけでは決して済まない。
なぜ会社はそれでは済まないのか?考えようとすると、G書房で労組を作ったときのことを思い出す。
発足当初、わが労組は賃上げを主たる目標として会社と交渉してきた。
数回の春闘を経て賃金水準は業界平均に追いついたので、私は「次に労働をわが手に取り戻せるよう会社に働きかけよう」などと口にしてみた。
業界水準に追いついて以後の賃上げ要求は、大きな声で主張できるような正義ではないと思ったからだが、私の青臭い主張は見事に大半の人から無視された。
今から思えば当然である。
G書房には、編集、営業、総務、商品管理などさまざまな職種があり、「労働をわが手に」などという複雑な目標で、みなが一致することはとうてい不可能だ。
結局、組合は唯一賃上げを目標に掲げることで辛うじて大同団結できるのだった。
組合でさえそうなのだから、そうした従業員を抱えている会社経営者が、「今年は面白い仕事をさせるから給料は下げるぞ」ということは決してない。
「みんな頑張って儲けてくれれば給料を上げるぞ」という目標以外に立てることはできない。
そこで、「私は、今年は中身本意の仕事をするから、数字は去年より下がります」サラリーマンが会社にこう申告できる余地はないのである。
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